2020年10月29日木曜日

シンパシーとエンパシー

 今回のブログは、「シンパシー」と「エンパシー」の違いについて紹介したいと思います。

「シンパシー」という言葉は、何となく聞いたことがあるという方はいるかもしれませんが、「エンパシー」は、あまり聞きなれない言葉ですよね。
「自閉スペクトラム症の精神病理」内海健 著(医学書院)という本で「シンパシー」と「エンパシー」の相違について記載されており、その本での一説では、このように説明されています。

 『「シンパシー」とは、「こころ」を介さない無媒介なもので、つまりは、自他未分な地続き的な共感で、むしろ「共鳴」といったものです。それに対して「エンパシー」は、他者の心に対する「共感」で、より論理的で、社会的な共感です。』

ちょっとわかりにくいですよね?
共通しているのは、どちらも『共感』という意味合いを持つ言葉です。
この『共感』という部分の違いを「共鳴」というニュアンスの違う似た言葉を用いながら、極端に解りやすい例であげると、

 ・宮川大輔さんの食レポの「うまい!」と絶叫するのは、その料理という物に対してのシンパシー的な共鳴です。
  一方、彦摩呂さんの食レポで「○○の宝石箱や~」など、視聴者が、どう感じ、どう伝わるかを意識した視聴者のこころを介した表現の仕方は、エンパシー的な表現だと言えます。
 ・スラムダンクの漫画でいうと、エンパシー側は、桜木花道で、シンパシー側は、流川楓。
 ・ドラゴンボールでいうと、エンパシー側は、孫悟空で、シンパシー側は、ベジータ。
 ・鬼滅の刃でいうと、エンパシー側が、竈門丹次郎で、シンパシー側が、富岡義勇。
 ・白い巨塔では、財前先生が、シンパシー側で、里美先生が、エンパシー側など。

ドラマやアニメでは、多くはエンパシー側が主人公になりがちで、そのライバルとか、重要なキーマンに、シンパシー側がなりがちです。
乱暴な例えかもしれませんが、キャラクターにあてはめると、エンパシーとシンパシーという「共感」の仕方の違いが、何となく感覚で理解してもらえるのではないでしょうか?

この、「シンパシー」と「エンパシー」という「共感」における2分法は、ASDの心性を理解するのに非常に有用となります。
ASDの人たちの多くは、こころを介した共感、すなわち「エンパシー」が苦手で「シンパシー」の方が得意です。
シンパシーは「心の理論」を介さないもので、「こころ」を経ないで成立し、むしろ「こころ」は邪魔になります。
人間以外のものは嘘をつかないし、ウラがない、そして裏切ることもない。そうした物や生き物に対して、ASDのシンパシーが発揮されることがあります。
釣りの達人、虫取りの名人、カリスマ的な飼育係など、シンパシーによる交感には「こころ」という屈折がなく、表現と意味が一体になっています。

一方、定型発達者では、生後9か月革命といわれる、ひとみしり以降、エンパシーがシンパシーにとってかわっていきます。
それに対して、一部のASDでは、シンパシー能力が保たれ、定型者が、こころを経由しないとわからない他人の状態がASDには直接に伝わることがあります。

たとえば、親や周囲の人の不安や怒りを直接感じ取ったりします。ただし、それを言語で表現する術を持たないので、表現するときにはパニックで反応することが多くみられます。
他方、ASDは、悪意、善意、親切、嫉妬、やっかみ、ふてくされ、不機嫌、当てつけ、皮肉などとなると、さっぱりわからなくなります。
これらは、「こころ」を前提としているからであり、こころを介した感情はよくわかりません。

シンパシーは、ソーシャルな場面になると、場違いなものとなりがちです。
例えば、禿げ頭や片腕がないといった人の欠陥を、あからさまに面白がったりします。
そこには、相手を侮辱する意図はありません。
彼らにしてみれば、ただただ面白いだけなのです。しかし、その場に居合わせた人はびっくりしてしまいます。

ASDと定型者との違いを理解する上で、この「シンパシー」と「エンパシー」という感じ方の違いを、このように定義しておくと理解しやすいと思って、少しだけ述べさせていただきました。

 

 

 

2020年10月22日木曜日

自分の治療スタイルを考えて働くということを考えました

当クリニックのWebサイトでもお知らせさせていただいておりますが、11月、12月に、臨時休診を数日とることにしました。
また、令和3年1月より、毎週火曜日は、午前診のみの診療に変更とさせていただくこととなりました。

自分の診療スタイルは、一人ひとりの患者さんに保険診療枠内(初診は30分前後、再診は5分~10分前後という時間制限の枠内)で、少しでも治療的に効果的に関わるように日々努力するということです。
現時点でも、己の未熟さと日々向き合いながら診療を続けています。

そこでの課題として、自分自身の心身の疲労が蓄積した状態で診療がうまくできていない部分については、もう少し、自分自身の心身の状態を整える時間が必要だと感じました。
また、自分が疲弊していくと、診療だけでなく、自分の身近にいる人も大事にできなくなる恐れを感じています。

僕は、精神療法の中でも、特に家族療法的なアプローチを重視している精神科医です。
その自分が、 身近にいる自分の家族やスタッフ、そのスタッフにも家族がいるわけで、そうした自分の一番近くにいる人たちを大切にしていくスタンスこそが、最も重要だと考えています。

そのためには、診療時間を減らしてでも、取り組むべきことだと判断しました。
その分、治療の質が少しでも上がることで患者さんに還元していけるように精進していきたいと思います。
患者さんにはご迷惑とご負担をお掛けして申し訳ありませんが、何卒ご理解の程よろしくお願い致します。






2020年10月15日木曜日

子育て環境の時代の変化

 今回のブログは、診療において子育て中の親御さんや、その祖父母の方から「我々が子どもだった頃は~」と話されることを耳にすることがあり、現在の子育ての環境を考える上で、一度、子どもや家族の状況に関しての歴史を、歴史的時代背景を踏まえながら、おおまかな時代ごとに簡略に追ってみたいと思います。

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・先史時代(縄文・弥生時代)
狩猟・農耕の時代で、家族単位で自立する経済的環境はなく、子育ては親が中心でありつつも「村」の中で行われていたと考えられています。
多産多死で、出産時の母の死亡率も高く、子どもの生存率もきわめて低かったようです。

 
・古代(飛鳥・奈良・平安時代)
ある程度階層が分化し、貴族・豪族・専門職などが成立し、身分格差が生まれ、家の継続意識が生まれてきました。
家族の役割は、人口の再生産と子どもの養育とされ、身分格差・子どもの格差が生まれました。
子どもは親の従属物とされ、子捨て・売買も行われ、庶民の子どもは裸で遊んでいました。

 
・中性(鎌倉・室町・戦国時代)
武家社会で、農業の発展とともに新たに多様な職業が生まれ、それらを継承するために「家」という概念が強まり、「家」では子どもは後継者として位置づけられ、寺社にて武家の子弟(してい)らは稚児(ちご)として入り教育を受けました。
しかし、相変わらず多産多死(16歳までに半数が死亡)で、生活のための堕胎、間引き、子捨て、売買がありました。
当時の小児医療は、民間療法と祈祷が主体で、成人まで成長できるのは半数程度だったようです。

 
・近世(江戸時代)
社会が安定し封建的な家長権が男性たる家父長に集中している家族の形態である家父長制(かふちょうせい)が確立され、職業が固定化、都市では商品経済が発達し、結婚して家庭を持てる人が増加しました。
家業を継承・維持するための子育てへの関心が高まり、教育への必要性も高まり、家庭外教育として寺子屋が普及しました。

 
・近大(明治~戦前)
新政府による富国強兵策により急速に西欧化し、その後、大戦から敗戦に至る過程で社会構造も激変しました。
子どもや家族を巡る最大の変化は、いわゆる「生めよ増やせよ」政策による多産の奨励で、小児人口が増加しました。
初等教育が全体に普及し、立身出世が目標とされ、国家政策的に家庭の役割や母性が強調され、小児医療は西洋化され、西欧的育児法も導入されました。

 
・現代(戦後~現代)
第二次世界大戦後、人権意識が変わり、社会が安定し、科学技術が進歩し、個々の生活が豊かになり、家族と子どもの環境は、出産の調節、医療水準の向上、生活条件の改善などによって、少産少死時代になりました。

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上記では、江戸時代頃までは、生まれた子どもの半分は7歳頃までに死亡していたと考えられ、生き残ることが最も重要な課題でしたが、現代、出生数はこの100年で半減しましたが、半分以上の子どもが死んでいたという時代から、生まれた子どものほとんどが生存できる時代になり、小児の死亡率はきわめて低くなりました。

今、我々が生きる時代である現在の状況では、飢餓問題は消失し、飽食が日常になり、幼児期からの教育が一般化し、教育内容は高度化し、そのなかで低年齢からの競争が生じています。
生活環境では、居住環境の快適化に伴う密室化と孤立化へと変化していき、その結果として、家族や個人が孤立するという状況が生まれやすくなっています。

過去の歴史を遡ると、子どもの遊び空間は基本的に屋外でした。
しかし、自動車の激増、犯罪やコロナ感染の懸念などにより、自由に遊べる空間は都市部を中心に激減し、代わってゲームを中心とした仮想の遊び空間は増大してきています。
さらに、子どもを市場とした商品・情報が氾濫、医療の無料化など、子育ての環境の変化は激しく、こうした変化に伴って、生物学的なリアリティーの希薄化、コミュニケーション能力の低下、母親への過剰な育児負担などが生じやすくなっているといわれています。
 
得てして、小児医療においては、身体調節機能の低下、アレルギー疾患の増加は、きわめて現代的な現象で、家屋構造、食生活、感染症の減少など生活環境の変化と関連づけられており、特に発達障害の激増や顕在化は、子どもの環境の変化が大きく影響している可能性が高いといわれています。

また、核家族の進展からの孤立化した家族、特に母親の育児に関連する不安・緊張に起因すると思われる育児不安や虐待も大きな問題です。
育児は、母親的役割を担った存在を中心とした家族全体で行われることが最も効率的であり、つまりは、育児は家族全体の問題ではないでしょうか。

子どものこころや体の成長を育んでいくために、こうした時代の経過があることなどを、教科書から抜粋し改めて考える必要性を感じています。

 

 

 

 

2020年10月8日木曜日

1日の診察が終わって思うこと

毎朝、僕は診療が始まる前は、ものすごい予期不安で一杯になります。
 

『今日一日、患者さんに少しでも治療的に関われるだろうか?』
また、『患者さんの待ち時間が長時間発生しないように、今日も1日、円滑にクリニックが運営出来るだろうか?』
と、色々な想いを胸に日々診療しています。

理想は、その日1日、及第点でもいいので、全ての患者さんに治療的に関わって診療を終わりたいと思っています。

しかし、残念ながら非治療的な関わりになって診療が終わってしまうこともあります。
そうなると、診療が終わってから、患者さんがしんどい中で、当院の治療にせっかく来てくれたのに期待に応えれなかったことが残念で仕方ない気持ちでいっぱいになります。

そこで思い出す言葉が、イチロー選手が日米通算で4千本安打を達成した際の記者会見で言った言葉です。
「4000本のヒットを打つために、8000回以上の悔しい思いを僕はしてきている。その中で、常に自分なりに向き合ってきたという事実がある。誇れるとしたらそこではないかと思う。」
という言葉です。

この言葉を胸に、これからも自分が少しでもより良い診療ができるように、前を向いて自分なりに向き合い続けていきたいと思います。

 

 

 

 

2020年10月1日木曜日

最近の僕の患者さんを診療する上で大事な座標軸

 多くの病気を診療していく上で必要なことの一つとして 「生物学的」ー「心理学的」ー「社会的」な観点がよくあげられます。
僕の専門としている精神疾患は特に、この観点でみていく必要があります。

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行に伴い日本だけでなく、世界中の社会的・経済的影響と今後の変化もまた、多くの人のストレスや病気の要因の一つになるのではないでしょうか。
コロナ渦で「自粛警察」というワードもメディアで頻繁に報じられていましたが、同調圧力というものがより顕在化されました。

ただ、そんな日本でも少しづつではありますが多様性を認める社会にもなりつつあると感じています。

精神科領域においても、今ほど心療内科のクリニックが市中になかった時代に比べると、良くも悪くも様々な精神疾患が身近なものになり、精神疾患であると診断されたとしても、社会の理解も以前よりは深まってきているように思います。

しかしその反面、症状が軽度な場合、明らかな症状として浮かび上がりにくくなり、診断されることがなく、本人は気づかないまま、色々な不適応体験をされてからクリニックに来られる患者さんがよくおられます。
診察室での説明で、診断されにくいタイプの精神疾患の特性であることに気づくことができ、本人自身も「どうりで生きにくかったわけだ」と自己理解し、納得されるということもよくあります。
まだまだ精神科の領域は、こうした軽症の患者さんを見極める知識や経験に、なかなか追いついていないんだと思います。

僕は、「ASD」「ADHD」「HSP」という3つの座標軸で患者さんを診ておく視点の重要性を最近は感じています。
多くの軽度発達障害の方や、HSPなどの過敏さが高い人のしんどさに気づけるようになっていかないといけないなと思っている今日この頃です。