先日、政府により新型コロナウイルスにおける緊急事態宣言が解除されましたが、今もなお連日、自粛による経済の影響や今後についてメディア等で報じられています。
日本の大手自動車メーカーであるトヨタ自動車の社長である豊田章男氏が、新型コロナウイルスの影響が拡大していた3月に、自身が会長も務める日本自動車工業会の定例会での会見で、記者から「 豊田さんは、この状況をどうお考えですか?」と聞かれ、「真剣に考えないといけないが、深刻には考えないようにしている」 と答えられたそうです。
当時、どの現場でも同様の質問をされていたらしいのですが、共通してこう回答していたそうです。
こういったやりとりがあったことを知り、自分の日々の診療を振り返りました。
僕は、日々の診療の中で、当然、精神科ですので、深刻な悩みを抱えて来院される患者さんもおられます。
僕の精神科医としての役割は、そうした深刻な悩みを聞きながら、解決の糸口を一緒になって探していくわけですが、時に、問題に飲み込まれそうになり、僕自身も深刻になってしまうことがあります。
そういう時は、僕自身もイライラしてきたり、患者さんと同調してしまい、問題に巻き込まれたような状態に一瞬一瞬でなっていることに気づくときがあります。
そうした時に、「真剣に聞くのはいいけど、深刻に聞いてはいけない」と、自分自身に声をかけます。
そうすることで、治療者として問題に意識がいきすぎて機能不全に陥ることを防いでいます。
なかなかわかっていても、どうしても気持ちや思いが先行し問題に飲み込まれそうになりますが、なるべく、その都度、診療中の自分自身に言い聞かせ、診療が終わった後に反省する日々を繰り返しています。
日々、どうしようもできないこととか、不安やイライラすることがたくさんあると思います。
真剣にはなるのはいいですけど、深刻にならずに、ユーモアとかを大切にしていきたい!そう思っています。
2020年6月11日木曜日
2020年6月4日木曜日
僕の人生で一番大事なのはゲーム性です!
現在、クリニックの診療において、色々な取り組みを行っています。
たとえば、僕自身の診療の向上を図るために、診療時間を今年の2月から少し減らして、僕自身の学びの時間を増やしたり、クリニックの関係機関との連携強化を行っています。
こうしたことのモチベーションは、どっから来るのか?を自分なりに改めて考えてみました。
一つのキーワードとして、僕自身、ADHD(不注意、多動性、衝動性)傾向があり、現在も自分の中には、児童・思春期の心性が依然としてあります。
そのため、自分の行動を突き動かすものは、信念とか、正義感といったものではありません。
誤解を恐れずにいうなら「ゲーム性」だと思っています。
つまり、自分の行動指針は、それが面白いのか?などといった部分が判断基準になっており、自分がしたい!と思ったことを、主体的に楽しんでいきたい!という思いがモチベーションになってます。
そのためだったら、お金はそこまで稼げなくてもいいし、多少なら苦しくても頑張れます。
この「ゲーム性」ということが、自分にとって、かなり大事なことだと最近気づきました。
ここからも誤解を招く表現の仕方かもしれませんが、あえて表現をするなら、例えば、精神科の治療で「精神療法」「認知行動療法」「家族療法」などたくさんの「〇〇療法」があります。
この「療法」という言葉を「ゲーム」と、置き換えて解釈した場合、患者さんとゲーム的なやりとりをして、段々、精神的な悩みが軽くなっていくものだと考えています。
実際に、原則として子供を対象にですが、遊びを主なコミュニケーション手段、および表現手段として行われている、プレイセラピー(遊戯療法)という心理療法もあります。
ちなみに、僕は、基本的に人に指図されるのが大嫌いです。
どんなに偉い人に言われても、僕の心は常に自由で、誰からも束縛されたくない!という心性があるのかもしれません。
そうした「指示」や「命令」には、反発するか、黙るなどの抵抗をしてしまいます。
こうして、人からの指示や命令により、勉強をしたり、働いたりしても、主体性が奪われている状態ですから、僕は、すぐにしんどくなってしまいます。
なにしろ「ゲーム性」では、主体性が何よりも 一番大事だと思っています。
親の「勉強しろ!」という命令により、子供がそれに従い勉強したとしても、そんなに成績が伸びない理由の正体も、そこにあるのではないでしょうか。
僕はこれからも、自分が何をしたいか?何をしたら楽しいか?と自問自答し、主体的に行動し、その結果、自分や家族、その周囲の人たちが幸せになっていってくれたらいいな、とは思っています。
たとえば、僕自身の診療の向上を図るために、診療時間を今年の2月から少し減らして、僕自身の学びの時間を増やしたり、クリニックの関係機関との連携強化を行っています。
こうしたことのモチベーションは、どっから来るのか?を自分なりに改めて考えてみました。
一つのキーワードとして、僕自身、ADHD(不注意、多動性、衝動性)傾向があり、現在も自分の中には、児童・思春期の心性が依然としてあります。
そのため、自分の行動を突き動かすものは、信念とか、正義感といったものではありません。
誤解を恐れずにいうなら「ゲーム性」だと思っています。
つまり、自分の行動指針は、それが面白いのか?などといった部分が判断基準になっており、自分がしたい!と思ったことを、主体的に楽しんでいきたい!という思いがモチベーションになってます。
そのためだったら、お金はそこまで稼げなくてもいいし、多少なら苦しくても頑張れます。
この「ゲーム性」ということが、自分にとって、かなり大事なことだと最近気づきました。
ここからも誤解を招く表現の仕方かもしれませんが、あえて表現をするなら、例えば、精神科の治療で「精神療法」「認知行動療法」「家族療法」などたくさんの「〇〇療法」があります。
この「療法」という言葉を「ゲーム」と、置き換えて解釈した場合、患者さんとゲーム的なやりとりをして、段々、精神的な悩みが軽くなっていくものだと考えています。
実際に、原則として子供を対象にですが、遊びを主なコミュニケーション手段、および表現手段として行われている、プレイセラピー(遊戯療法)という心理療法もあります。
ちなみに、僕は、基本的に人に指図されるのが大嫌いです。
どんなに偉い人に言われても、僕の心は常に自由で、誰からも束縛されたくない!という心性があるのかもしれません。
そうした「指示」や「命令」には、反発するか、黙るなどの抵抗をしてしまいます。
こうして、人からの指示や命令により、勉強をしたり、働いたりしても、主体性が奪われている状態ですから、僕は、すぐにしんどくなってしまいます。
なにしろ「ゲーム性」では、主体性が何よりも 一番大事だと思っています。
親の「勉強しろ!」という命令により、子供がそれに従い勉強したとしても、そんなに成績が伸びない理由の正体も、そこにあるのではないでしょうか。
僕はこれからも、自分が何をしたいか?何をしたら楽しいか?と自問自答し、主体的に行動し、その結果、自分や家族、その周囲の人たちが幸せになっていってくれたらいいな、とは思っています。
2020年5月28日木曜日
マインドが大切!
僕は、研修医時代に WAIS-III という知能検査を受けたことがあります。
知能検査とは、知能を測定するための心理検査で、検査結果の表示の仕方のうち代表的なものが知能指数『IQ』 です。
『IQ』という単語を聞くと、何となくご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか。
そこでの僕の『IQ』の結果は105でした。
最近、テレビのクイズ番組で、IQ165といった天才の人が出てきますよね。
この知能指数は標準得点で表され、中央値は100、標準偏差は15前後で定義されています。
100に近いほど出現率が高く、100を中心に上下に離れるに従って出現率が減っていきます。
分布はほぼ正規分布になり85~115の間に約68%の人が収まり、70~130の間に約95%の人が収まっています。
ちなみに、東大生の平均IQや、医師の平均IQが、110~120程度だと言われていますので、僕の当時の結果は、そうした医師の平均値からすると、下位の方になります。
そう言われてみると、確かに僕は、高校時代も大学時代も、ずっと落ちこぼれでした。
ただ、中学時代は、地元の公立の中学校で、試験の前日に集中して勉強するだけで、学年トップレベルの成績でした。
その時に、僕は「やればできる!」という予備校のポスターのようなマインドが確立されたような気がします。
その後、地元の公立進学校の高校に入学し、同じように試験の前日にだけ勉強したら、成績は学年で下位となり、以後、高校の3年間も落ちこぼれ状態が続きました。
でも、僕はそんな高校時代でも、内心は「俺は、やればできる!」というマインドは、生き続けていたように思います。
そのため、1浪して落ちて、2浪して落ちても、「次は受かる!」というマインドを維持して無事に3浪目で医学部に合格したのです。
その後の医大生時代も、やっぱり落ちこぼれの状態が続きました。
でも、僕は、その医大生の時でも「将来は、きっといい医者になれる!」というマインドを維持していました。
今も、そのマインドは維持しています。
「僕は、まだまだ精神科医として、やればできる!」そう思い続けて、日々の診療をしています。
確かに、能力、技量も含めて足りないことは日々痛感しています。
だけど、「自分は、やればできる!」というマインドは、今も心の中に居続けています。
能力とか技量とかも大事ですけど、この「マインドが大事!」なんですね。
少年よ、大志を抱け!的に。
知能検査とは、知能を測定するための心理検査で、検査結果の表示の仕方のうち代表的なものが知能指数『IQ』 です。
『IQ』という単語を聞くと、何となくご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか。
そこでの僕の『IQ』の結果は105でした。
最近、テレビのクイズ番組で、IQ165といった天才の人が出てきますよね。
この知能指数は標準得点で表され、中央値は100、標準偏差は15前後で定義されています。
100に近いほど出現率が高く、100を中心に上下に離れるに従って出現率が減っていきます。
分布はほぼ正規分布になり85~115の間に約68%の人が収まり、70~130の間に約95%の人が収まっています。
ちなみに、東大生の平均IQや、医師の平均IQが、110~120程度だと言われていますので、僕の当時の結果は、そうした医師の平均値からすると、下位の方になります。
そう言われてみると、確かに僕は、高校時代も大学時代も、ずっと落ちこぼれでした。
ただ、中学時代は、地元の公立の中学校で、試験の前日に集中して勉強するだけで、学年トップレベルの成績でした。
その時に、僕は「やればできる!」という予備校のポスターのようなマインドが確立されたような気がします。
その後、地元の公立進学校の高校に入学し、同じように試験の前日にだけ勉強したら、成績は学年で下位となり、以後、高校の3年間も落ちこぼれ状態が続きました。
でも、僕はそんな高校時代でも、内心は「俺は、やればできる!」というマインドは、生き続けていたように思います。
そのため、1浪して落ちて、2浪して落ちても、「次は受かる!」というマインドを維持して無事に3浪目で医学部に合格したのです。
その後の医大生時代も、やっぱり落ちこぼれの状態が続きました。
でも、僕は、その医大生の時でも「将来は、きっといい医者になれる!」というマインドを維持していました。
今も、そのマインドは維持しています。
「僕は、まだまだ精神科医として、やればできる!」そう思い続けて、日々の診療をしています。
確かに、能力、技量も含めて足りないことは日々痛感しています。
だけど、「自分は、やればできる!」というマインドは、今も心の中に居続けています。
能力とか技量とかも大事ですけど、この「マインドが大事!」なんですね。
少年よ、大志を抱け!的に。
2020年5月21日木曜日
学校に『行けない』ではなく『行かない』と決断できた君に
今回のブログのタイトルだけを見れば、何となく違和感を感じられた方もおられるかもしれませんね。
文科省調査によると、全児童生徒数に占める不登校の児童生徒数の割合は、この20年間で1.5倍の増加傾向にあり、子どもの数が減少するなかで不登校が増え続けています。
少し前では不登校の10歳の小学生Youtuberがワイドショーや情報番組で取り上げられ賛否両論がありました。
児童精神科医である僕のクリニックの外来でも、もちろん児童期の方が多く、その患者さんの中でも主訴(患者さんの訴えの中で最も主要な病症)が不登校ということが多いです。
そういった患者さんの診察場面において、通院当初は『学校に行けない!』など『~できない』と本人や親御さんが訴えたりされることが、しばしばあります。
その後、通院加療の経過の中で、次第に本人にも変化があらわれ、同時に親御さんの方にも不登校に対する理解が進んでいく中で「本人自身は、学校に行けないのではなく、学校に行かないという選択をしたんだ」というふうに徐々に変容していくことがあり、「学校に行けない」ではなく「学校に行かない」と、本人自身の「主体性の回復」を診察場面で感じることがあります。
「学校に行かない」と自分で決断できた子は、いずれ学校や社会に行くことができるようになりますから、これが不登校の治療過程で一番大事なことだと感じています。
不登校だけれども、不登校により自立が芽生え、成長していっているお子さんの診察を通して、むしろ、僕の方が逆に励まされることも結構あります。
その子の成長を感じ、通院を卒業していただいたときは、児童精神科医という職業をしていて本当に良かったな、と素直に嬉しく思います。
時には、最後の診察の際に、冗談まじりの会話を交わし、診察室でお別れして、その後、僕は診察室で余韻に浸る間もなく、また次の患者さんの診察に入っていくわけですけど。
でも、子供の成長や自立していかれる姿を見ると、僕の胸中は少し暖かな気持ちを抱くことができるのです。
「こちらの方こそ、ありがとうございました!」そう心の中で思っています。
文科省調査によると、全児童生徒数に占める不登校の児童生徒数の割合は、この20年間で1.5倍の増加傾向にあり、子どもの数が減少するなかで不登校が増え続けています。
少し前では不登校の10歳の小学生Youtuberがワイドショーや情報番組で取り上げられ賛否両論がありました。
児童精神科医である僕のクリニックの外来でも、もちろん児童期の方が多く、その患者さんの中でも主訴(患者さんの訴えの中で最も主要な病症)が不登校ということが多いです。
そういった患者さんの診察場面において、通院当初は『学校に行けない!』など『~できない』と本人や親御さんが訴えたりされることが、しばしばあります。
その後、通院加療の経過の中で、次第に本人にも変化があらわれ、同時に親御さんの方にも不登校に対する理解が進んでいく中で「本人自身は、学校に行けないのではなく、学校に行かないという選択をしたんだ」というふうに徐々に変容していくことがあり、「学校に行けない」ではなく「学校に行かない」と、本人自身の「主体性の回復」を診察場面で感じることがあります。
「学校に行かない」と自分で決断できた子は、いずれ学校や社会に行くことができるようになりますから、これが不登校の治療過程で一番大事なことだと感じています。
不登校だけれども、不登校により自立が芽生え、成長していっているお子さんの診察を通して、むしろ、僕の方が逆に励まされることも結構あります。
その子の成長を感じ、通院を卒業していただいたときは、児童精神科医という職業をしていて本当に良かったな、と素直に嬉しく思います。
時には、最後の診察の際に、冗談まじりの会話を交わし、診察室でお別れして、その後、僕は診察室で余韻に浸る間もなく、また次の患者さんの診察に入っていくわけですけど。
でも、子供の成長や自立していかれる姿を見ると、僕の胸中は少し暖かな気持ちを抱くことができるのです。
「こちらの方こそ、ありがとうございました!」そう心の中で思っています。
2020年5月14日木曜日
子どもの反抗期は、親は動揺期!
新型コロナウイルスの影響により社会の重い雰囲気が続く中、休校の延長により子供たちにとっては、毎日時間と体力を持て余す日々が続いています。
家族で一緒に過ごす時間が極端に長くなりすぎて、子どもたちとギクシャクしてしまっているという方もいらっしゃるのではないでしょうか?
特に思春期の子どもには、良くも悪くも日常生活の一部となっているスマートデバイスがコミュニケーションツールには欠かせないものとなっています。
SNSで友達と交流することなど、親とは距離を置ける場所を探してあげることも、こういった状況では一つではないでしょうか。
今回のブログも前回から引き続き思春期年代の子どもたちをテーマにした内容となっています。
思春期年代の子供が、不登校になったり、摂食障害になったりと、そういったことにどう対応したら良いのか?が、わからない事態となり親御さんが受診されることがあります。
子どもは、児童期から反抗期になる頃には自立の芽生えとして「~しない」「すぐに諦める」「親を責める」など、ネガティブな意思表示で親を困らせる言動から始まることが多いように思います。
ここで、親御さんの対応でポイントなのは、こうした子供らのネガティブで親を困らせる行動こそが、自立の芽生えであるということに気づけるかどうかにあります。
反抗期という時期に、これまでは色々と親が主導したりしてきた子供の立場からすると「支配」に対して、子供は「抵抗」し、最終的に親から主導権を勝ち取り自立していきます。
親御さんが、こういった過程を理解していたら、子供の困った行動に対して「動揺」していくことが大事になります。
親が動揺しながらも、時には親が子を「支配」しようとして怒ったり、はたまた、子供の激しい「抵抗」にあい親自身がうろたえたりしながら、徐々に親が子どもに対して後退していき、子供が自立していきます。
親御さんの「動揺」も含め、この親と子の両者の過渡期が、子どもにとっては「反抗期」となります。
だから、その時期は、親にとっては「動揺期」ですね。
ただひたすら、その親の「動揺」を応援する、これが、僕の仕事ということになりますかね。。。
家族で一緒に過ごす時間が極端に長くなりすぎて、子どもたちとギクシャクしてしまっているという方もいらっしゃるのではないでしょうか?
特に思春期の子どもには、良くも悪くも日常生活の一部となっているスマートデバイスがコミュニケーションツールには欠かせないものとなっています。
SNSで友達と交流することなど、親とは距離を置ける場所を探してあげることも、こういった状況では一つではないでしょうか。
今回のブログも前回から引き続き思春期年代の子どもたちをテーマにした内容となっています。
思春期年代の子供が、不登校になったり、摂食障害になったりと、そういったことにどう対応したら良いのか?が、わからない事態となり親御さんが受診されることがあります。
子どもは、児童期から反抗期になる頃には自立の芽生えとして「~しない」「すぐに諦める」「親を責める」など、ネガティブな意思表示で親を困らせる言動から始まることが多いように思います。
ここで、親御さんの対応でポイントなのは、こうした子供らのネガティブで親を困らせる行動こそが、自立の芽生えであるということに気づけるかどうかにあります。
反抗期という時期に、これまでは色々と親が主導したりしてきた子供の立場からすると「支配」に対して、子供は「抵抗」し、最終的に親から主導権を勝ち取り自立していきます。
親御さんが、こういった過程を理解していたら、子供の困った行動に対して「動揺」していくことが大事になります。
親が動揺しながらも、時には親が子を「支配」しようとして怒ったり、はたまた、子供の激しい「抵抗」にあい親自身がうろたえたりしながら、徐々に親が子どもに対して後退していき、子供が自立していきます。
親御さんの「動揺」も含め、この親と子の両者の過渡期が、子どもにとっては「反抗期」となります。
だから、その時期は、親にとっては「動揺期」ですね。
ただひたすら、その親の「動揺」を応援する、これが、僕の仕事ということになりますかね。。。
2020年5月7日木曜日
思春期の頃の自立の芽生えは、否定的なものから出てくることが多い!
新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言が発令され外出自粛要請が続くなか、異例のゴールデンウイークをむかえましたが、みなさんはどうお過ごしでしょうか。
「せっかくのゴールデンウィークなのに、家族でどこかへ行きたい!」と思っている方もいるでしょうし、意外と思春期の子どもたちの場合は「今年は家族と出かけなくて済んで助かった!」と思っていたりするかもしれません。
思春期をむかえた子が、そんな風に思うのは決してわるいことではありません。
多くの人が、親と一緒にいるところを友達にみられたら恥ずかしいと思った時期を経験したのではないでしょうか。
診療していて、最近とくに感じるのは「親御さんの感じている自立」と「僕の感じている自立」のギャップです。
ちなみに「自立」という単語を辞書で調べてみると、
・他への従属から離れて独り立ちすること。
・他からの支配や助力を受けずに、存在すること。
といった意味合いになります。
親御さんにとってのお子さんの自立とは、自分で身の回りのことができたり、親に言われるまでもなく勉強とか社会活動を本人なりにやれているという状態をイメージしていることが多いように感じます。
でも、治療者としての僕の視点では、例えば「学校に行かない!」と言い出すとか、親がちょっと注意しただけで激高するなど、 思春期の頃の自立の芽生えは、一見ネガティブなものであることが多いのです。
皆さんは、尾崎 豊さんという歌手をご存知でしょうか?僕らの世代では知らない人はいないのではないでしょうか。
夢や愛、生きる意味をストレートに表現した赤裸々な歌詞など、社会や学校の中で感じる葛藤や心の叫びを表現した楽曲の数々が1980年代から1990年代初頭にかけての若者を中心に多くの人から共感を呼びました。
1992年に26歳という若さで亡くなられたのですが、その作品と活動、精神性は、日本の音楽シーンに多大なる影響を与え、作品にほとばしるメッセージは25年以上経過した現在でも多くのファンやミュージシャンに支持されています。
尾崎 豊さんは、1983年12月にシングル『15の夜』とアルバム『十七歳の地図』で高校在学中にデビューされたのですが、その『15の夜』という曲に
-----
盗んだバイクで走りだす 行き先も解らぬまま
暗い夜の帳りの中へ
誰にも縛られたくないと 逃げ込んだこの夜に
自由になれた気がした 15の夜
-----
という一節があります。
曲全体は知らずとも、このサビの部分は知っているという方も多いと思います。
この曲を評論するつもりなど毛頭ありませんし、この詩を文字通りにだけ読むと、賛否両論があるのかもしれませんが、フィクションや表現の仕方として楽しんだ場合、このような世界観が非常に自立の芽生えである反抗期をうまく表現できていると感じます。
個人的な解釈では、 この「自由になれた気がした」という表現は、実際は親の支配や社会的な支配という部分から、自由にはなれていないことは自分なりに自覚はしているんだけど、少し自分なりに親や社会という支配から自分らしく生きていこう!という戦う姿勢は示せた、というところでしょうか。
以前のブログの中でも何度か触れていますが、僕は、高校3年生の2学期の進路相談で、初めて医者になりたい、医学部に行きたいと担任の先生に伝えました。
すぐさま、担任の先生からは「作田君のこれまでの成績では、到底無理です」と言われ、なおかつ「内申書の成績も悪すぎる」と指摘されました。
僕は焦ってしまい、内申点を少しでも稼ごうと定期テストでカンニングという姑息な手段を使ってしまいましたが、すぐにみつかり、その定期テストは全教科0点になり、停学処分を受けました。
もちろんカンニングはダメな事ですし、今思えば、みつかって良かったなと思います。
しかし、それは僕にとっては、自立の芽生えだったのです。
その後、3年浪人して医学部に入学しました。
このような出来事は今でこそ、改めて振り返るとそうだったな、と思えることです。
親御さん自身の自立の芽生えは、どんなものでしたか?
親になると、自分の自立の芽生えなんか、すっかり忘れてしまっていたり、思い出したくない記憶として片隅に追いやりがちですよね。
子どもが「言うことを聞かないな」「思うようにいかないな」と、親御さんが思っている時は、結構、子どもの自立の芽生えかもしれませんよ。
親としては戸惑いつつも、それは正常な発達として、心のどこかで嬉しいと喜べるといいな、と思います。
でも真っ最中にいると、なかなかそうは思えないもんですけどね。。。
「せっかくのゴールデンウィークなのに、家族でどこかへ行きたい!」と思っている方もいるでしょうし、意外と思春期の子どもたちの場合は「今年は家族と出かけなくて済んで助かった!」と思っていたりするかもしれません。
思春期をむかえた子が、そんな風に思うのは決してわるいことではありません。
多くの人が、親と一緒にいるところを友達にみられたら恥ずかしいと思った時期を経験したのではないでしょうか。
診療していて、最近とくに感じるのは「親御さんの感じている自立」と「僕の感じている自立」のギャップです。
ちなみに「自立」という単語を辞書で調べてみると、
・他への従属から離れて独り立ちすること。
・他からの支配や助力を受けずに、存在すること。
といった意味合いになります。
親御さんにとってのお子さんの自立とは、自分で身の回りのことができたり、親に言われるまでもなく勉強とか社会活動を本人なりにやれているという状態をイメージしていることが多いように感じます。
でも、治療者としての僕の視点では、例えば「学校に行かない!」と言い出すとか、親がちょっと注意しただけで激高するなど、 思春期の頃の自立の芽生えは、一見ネガティブなものであることが多いのです。
皆さんは、尾崎 豊さんという歌手をご存知でしょうか?僕らの世代では知らない人はいないのではないでしょうか。
夢や愛、生きる意味をストレートに表現した赤裸々な歌詞など、社会や学校の中で感じる葛藤や心の叫びを表現した楽曲の数々が1980年代から1990年代初頭にかけての若者を中心に多くの人から共感を呼びました。
1992年に26歳という若さで亡くなられたのですが、その作品と活動、精神性は、日本の音楽シーンに多大なる影響を与え、作品にほとばしるメッセージは25年以上経過した現在でも多くのファンやミュージシャンに支持されています。
尾崎 豊さんは、1983年12月にシングル『15の夜』とアルバム『十七歳の地図』で高校在学中にデビューされたのですが、その『15の夜』という曲に
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盗んだバイクで走りだす 行き先も解らぬまま
暗い夜の帳りの中へ
誰にも縛られたくないと 逃げ込んだこの夜に
自由になれた気がした 15の夜
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という一節があります。
曲全体は知らずとも、このサビの部分は知っているという方も多いと思います。
この曲を評論するつもりなど毛頭ありませんし、この詩を文字通りにだけ読むと、賛否両論があるのかもしれませんが、フィクションや表現の仕方として楽しんだ場合、このような世界観が非常に自立の芽生えである反抗期をうまく表現できていると感じます。
個人的な解釈では、 この「自由になれた気がした」という表現は、実際は親の支配や社会的な支配という部分から、自由にはなれていないことは自分なりに自覚はしているんだけど、少し自分なりに親や社会という支配から自分らしく生きていこう!という戦う姿勢は示せた、というところでしょうか。
以前のブログの中でも何度か触れていますが、僕は、高校3年生の2学期の進路相談で、初めて医者になりたい、医学部に行きたいと担任の先生に伝えました。
すぐさま、担任の先生からは「作田君のこれまでの成績では、到底無理です」と言われ、なおかつ「内申書の成績も悪すぎる」と指摘されました。
僕は焦ってしまい、内申点を少しでも稼ごうと定期テストでカンニングという姑息な手段を使ってしまいましたが、すぐにみつかり、その定期テストは全教科0点になり、停学処分を受けました。
もちろんカンニングはダメな事ですし、今思えば、みつかって良かったなと思います。
しかし、それは僕にとっては、自立の芽生えだったのです。
その後、3年浪人して医学部に入学しました。
このような出来事は今でこそ、改めて振り返るとそうだったな、と思えることです。
親御さん自身の自立の芽生えは、どんなものでしたか?
親になると、自分の自立の芽生えなんか、すっかり忘れてしまっていたり、思い出したくない記憶として片隅に追いやりがちですよね。
子どもが「言うことを聞かないな」「思うようにいかないな」と、親御さんが思っている時は、結構、子どもの自立の芽生えかもしれませんよ。
親としては戸惑いつつも、それは正常な発達として、心のどこかで嬉しいと喜べるといいな、と思います。
でも真っ最中にいると、なかなかそうは思えないもんですけどね。。。
2020年4月30日木曜日
こういう時だからこそ、僕は診療を続けます
新型コロナウイルス(COVID-19)の影響により、世界中の誰もが経験したことのない状況が続いています。
日本でも、各都道府県ごとの感染状況や生活に係る措置が、連日メディアで 報じられています。
既存薬剤の有効性を検討する試みも進行中のようですが、残念ながら現時点においては確立した治療法は見つかっておらず、私たちは正に感染蔓延期の真っ只中に差し掛かろうとしています。
今でも全国各地の神社仏閣には、昔から「疫病退散」を祈願してきた祭りや伝承が受け継がれていることをみればわかるように、日本人は、過去に流行り病(感染症)と幾度となく闘ってきました。ごく身近な例でいうと、節分の豆まきなどは、天然痘をはじめとする感染症など疫病に関連があるとされた説があります。
また、日本は地震や豪雨など、世界的にみても災害多発国として知られています。
無論、ひとつとして同じものはなく、同じ災害であっても経験は様々であり災害の状態や受け止め方は環境や状況により違うものです。
僕らの世代の人たちは、高校時代の頃に、阪神・淡路大震災を経験しました。
当時、僕の両親は作田整骨院という整骨院を開業していたのですが、スタッフ全員が被災者でありながらも、スタッフ全員休むことなく、災害の翌日からずっと診療を続けていました。
僕を含め作田家の子どもは、独居の高齢者の家を親の指示で訪問し、安否を確認したりなど、微力ながら被災支援としてのお手伝いをしたのを覚えています。
正直なところ、思春期だった当時の僕には使命感もなく、自ら率先して「していた」わけではなく、 正確には、親の言いつけに逆らえず「させられていた」という感じでした。
また、自分の回りの人たちが、怪我もなく無事であり、被災支援をしていることで、気持ちのどこかで「他人事」のように思っていたのかもしれません。
でも、今このような状況になり、直接的に何か特別なことはできないかもしれませんが、こういう時だからこそ、普段と変わりなく診療をし続けたいと思っています。
日本の医療制度においては、国民皆保険制度により、全ての人に医療を受ける権利が保障されています。
言わば「国民がいつでもどこでも必要なときに医療サービスへアクセスできる状態を提供するインフラ」であるのです。
こういう時でも日常と変わらず、生活基盤の一部として出来る限り存在し続けていたいと思います。
もちろん、当院のスタッフが感染してしまったり、そうした疑いがあれば、速やかに診療を停止し、休診をすることも責務だと思っています。
こういう状況において、また過去の災害の経験を思い出し、今の自分の状況や環境、役割や立場で、何が出来るのか、また何をすべきかを考えていた時に、ふと、阪神・淡路大震災の翌日から、淡々と仕事をし続けていた両親の背中を思いだします。
改めて、診療を続けていきたい、淡々と。
そういう思いです。
日本でも、各都道府県ごとの感染状況や生活に係る措置が、連日メディアで 報じられています。
既存薬剤の有効性を検討する試みも進行中のようですが、残念ながら現時点においては確立した治療法は見つかっておらず、私たちは正に感染蔓延期の真っ只中に差し掛かろうとしています。
今でも全国各地の神社仏閣には、昔から「疫病退散」を祈願してきた祭りや伝承が受け継がれていることをみればわかるように、日本人は、過去に流行り病(感染症)と幾度となく闘ってきました。ごく身近な例でいうと、節分の豆まきなどは、天然痘をはじめとする感染症など疫病に関連があるとされた説があります。
また、日本は地震や豪雨など、世界的にみても災害多発国として知られています。
無論、ひとつとして同じものはなく、同じ災害であっても経験は様々であり災害の状態や受け止め方は環境や状況により違うものです。
僕らの世代の人たちは、高校時代の頃に、阪神・淡路大震災を経験しました。
当時、僕の両親は作田整骨院という整骨院を開業していたのですが、スタッフ全員が被災者でありながらも、スタッフ全員休むことなく、災害の翌日からずっと診療を続けていました。
僕を含め作田家の子どもは、独居の高齢者の家を親の指示で訪問し、安否を確認したりなど、微力ながら被災支援としてのお手伝いをしたのを覚えています。
正直なところ、思春期だった当時の僕には使命感もなく、自ら率先して「していた」わけではなく、 正確には、親の言いつけに逆らえず「させられていた」という感じでした。
また、自分の回りの人たちが、怪我もなく無事であり、被災支援をしていることで、気持ちのどこかで「他人事」のように思っていたのかもしれません。
でも、今このような状況になり、直接的に何か特別なことはできないかもしれませんが、こういう時だからこそ、普段と変わりなく診療をし続けたいと思っています。
日本の医療制度においては、国民皆保険制度により、全ての人に医療を受ける権利が保障されています。
言わば「国民がいつでもどこでも必要なときに医療サービスへアクセスできる状態を提供するインフラ」であるのです。
こういう時でも日常と変わらず、生活基盤の一部として出来る限り存在し続けていたいと思います。
もちろん、当院のスタッフが感染してしまったり、そうした疑いがあれば、速やかに診療を停止し、休診をすることも責務だと思っています。
こういう状況において、また過去の災害の経験を思い出し、今の自分の状況や環境、役割や立場で、何が出来るのか、また何をすべきかを考えていた時に、ふと、阪神・淡路大震災の翌日から、淡々と仕事をし続けていた両親の背中を思いだします。
改めて、診療を続けていきたい、淡々と。
そういう思いです。
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